第25話 忍者犬「チビ」

忍者犬「チビ」


 懐かしい子供時代を一緒に過ごしたのは家族や友達だけではない。小学校二年生の秋、そぼふる雨の日に「チビ」はわが家の庭先に迷い込んできた。スピッツとチンのあいの子のような「チビ」はそのままわが家に居着くことになった。体が特別小さいわけでもなかったが、以前飼っていた犬の名前をそのまま付けた。(その犬は車にひかれてしまった)


 この日から七年間、今思えばとても豊かな「心の交流」が続いたのだった。


 小学校三年か四年の頃だった。同級生のオサムちゃんとわが家の狭〜い庭で遊んでいた。「忍者ごっこ」だ。ずきんを着けて、棒を刀にして、隣のポンプ小屋の屋根に登って手裏剣(もどき)を投げたりして、想像の世界で遊んでいた。今思えば、なんて狭い場所で・・・と思うのだが、体も小さいあの頃は全く狭さを感じなかった。伊賀忍者対甲賀忍者の場合は対等な戦いだが、たまにどちらかが風魔忍者という悪役をやる。卑怯な手を使う風魔忍者、最後には正義の忍者が勝ちをおさめるという暗黙の了解で遊んでいた。


 そのとき私が風魔忍者の役だった。オサムちゃんは私を斬りつけてきた。と、その瞬間!!突然、チビがオサムちゃんに跳びかかって噛みついた! 猛烈な勢いでかかっていき、私を守ろうとしたのだ。「チビ、離れろ!離れろ!」と叫んでも言うことを聞かない。オサムちゃんはもうパニックのようになっている。ようやく、私がチビの体にとびついて離した。


 私はチビを棒でたたいて叱った。チビは、叱られたときにいつもするように腹を仰向けにして、く〜んく〜んと私に許しを求める。経験している人も多いと思うが、チビはそんなとき必ず涙を流す・・・「よ〜し、チビ。今度はおとなしくしていろよ」と諭して再び忍者ごっこは始まった。


 ところが・・・私が少しでも負けそうな格好をすると、またもチビはオサムちゃんにとびかかっていくのだ。今度は、私は叱ることをしなかった。逆にチビをとてもとても愛おしく思えてきた・・・オサムちゃんとの忍者ごっこは終わりにした。


 あの頃、飼い犬というのは鎖でつながれっぱなしだった。楽しみは残飯ごはんと、夕方鎖を外して庭を走らせるときだけだった。狭い庭を猛ダッシュして何度も何度も往復して走り回っていた。小さな食料品店を一人で切り盛りしていたおふくろは、よくチビに語りかけていた。「チビも私も(店に)つながれっぱなしだな〜」と。


 チビとはいろんな思い出がある。書けばきりがない。チビが亡くなってもう四十五年もたつのに、今でも時々夢に出てくる。亡くなったあの朝、死に水を与えたのは私ではなく父だった。ありがたそうに末期の水をなめて、すぐ眠るように逝ったそうだ。病を真剣に治してあげようとしなかった自分が今でも恥ずかしい・・・


 チビが亡くなったときは中学二年か三年のときだった。同じ頃に愛犬を亡くした同級生と一緒に、土手にふたつの穴を掘り、二匹の犬を隣り合わせにして埋めた。その土手を時々自転車で走ることがある。あのころと風景は変わってしまったが、どこに埋めたかは今でもはっきりと覚えている。それ以来、今に至るまで、犬を飼ってみようとは決して思えないのだ。