第33話 やまうなぎの思い出

やまうなぎの思い出

 高校三年生の春休み、同級生五人で「土方」をした。受験勉強で頭でっかち、鬱屈症状となっていた我々にとって、肉体労働は神聖なものに思えていた。親戚の建設会社に頼み、さっそくアルバイトとして使ってもらうことになった。


 5人がまとめて配属されたのは、主任一名、土方二人の三人編成小隊だった。まるで『隠し砦の三悪人』のようなキャラクターの方々だったな〜と思いだす。しっかりした体躯でひげの濃い主任は四十代前半くらいだった。 賢く、つねに笑みをたやさず、頼りになる「軍曹」みたいな感じの人だった。なにせ日本軍の兵帽のような帽子もかぶっていたのでなおさらだった。かの映画でいえば、三船敏郎の役どころだろう。他の二名は二人とも五十代後半から六十代くらい?一人はいつも冗談を言うじいさん、もう一人はおだやかな犬のような目をした無口のじいさんだった。


 さてわが土方小隊の任務は、瀬峰駅より二〜三キロ離れた線路の脇の土手補修工事であった。詳しいことは忘れたが、土手を掘って雨水を土中で逃す浸透土管を埋設する工事であったと記憶している。数週間毎日、休憩時や昼の弁当を食べるときなど、土方のおんつぁんたちと世間話をするのがとてもおもしろかった。


 軍曹(主任のこと)は、私たちの行動をよ〜くながめていて、私たちそれぞれの「未来予想図」を冗談まじりで語ることもあった。さすがだったな〜と今になって思う。一番調子のいい同級生は、やはり皆からめんこがられていたが「○○が一番出世すっぺな」と言われた。その通りになった。私はといえばこう言われた。「う〜〜ん、カワは詩人だな。やっぱり」実は詩人こそ、私がこれから一番なりたい職業?なのだ。もし私が友人より先に逝ったときは、弔辞でこう語ってもらいたいと願っている。「カワは人生の詩人でした・・・」そんな私の心の奥底を見抜いていたとはたいしたものだ。


 朝夕、自分のセドリックで送り迎えをしてくれるスーツを着た営業のあんちゃんもおもしろかった。かっこつけたしぐさでタバコを吸い、私たちにあれこれ自慢話をする。「この車、なんで前の席もベンチシートにしてるかわかるか?」「それはな〜。女をひっかけてカー(何とか)をするときにベッド代わりになるからだっちゃ〜」とか。歳が近いわれわれに対して兄貴ぶるのが楽しかったようだ。


 突然助っ人が増えた小隊はとても作業が進んだ。軍曹は現場の進捗を見て、時々作業を半日で中止し、社会見学と称して私たちに近くの施設などを見学させてくれたりもした。そんな土まみれのある日。土手をスコップで掘削していたら、冬眠中の蛇が大量に出てきた!なんとその数十一匹だ!太い「青大将」などは気味が悪くて、思い切り線路へ投げたりしたものだ。土方のおんつぁんたちは蛇ぐらいで驚いたり、気味悪がったりなどしない。私たちのうろたえを冗談交じりで冷やかしたり笑ったりしていた。やれやれ・・・


 「やまうなぎの思い出」はここからだ。次の日、みなで車座になって弁当を広げた。いつも冗談を言うじいさんが、みんなに自分のおかずを勧める。主任も、物静かなじいさんもよろこんでお相伴にあづかっていた。私たちも勧められた。「これは何だべ?」と私が聞いた。返ってきた言葉は、そう・・・ 「昨日とったシマヘビだっちゃ」 私も友人もだれも食べられなかった。


 最近ニューギニアで終戦を知らずに自給自足の生活を続けた方の手記『私は魔境に生きた』を読んだ。その中にヘビの話があり、見つけると「やまうなぎ」だ!と皆で大いに喜び食したことが書いてあった。「魔境」は四十三年前の瀬峰にも存在していたのだな〜と、なつかしく思い出すのである。