第38話 あだ名のうらみ

あだ名のうらみ


 どんな人にも何かしら得意技がある。私の得意技は似ているものを見つけることだった。そのせいか小学校から高校まで「あだ名付け」がとても得意だった。だいたい学年に一人はあだ名付けの名人がいて、彼が同級生や先生たちほとんどの名付け親となっていた。先生に付けたあだ名のうち出来がよいものは後世まで引き継がれ、何十年も続くブランドとなる。しかし時の流れとともに、誰が名付け親だったかを知る人はいなくなる。


 なぜこんなことを思い出したかといえば、先月高校の同期会があったからだ。もう高齢なので先生たちはお呼びしなかったのだが、二次会に誰が呼んだのか恩師の一人が来てくれた。もう時効のやんちゃな事件のことなど話されて、当事者の一人である私も恥ずかしくも懐かしい思いをしたものだ。


 その連想で生物部の顧問の先生を思い出した。以前の同期会にいらしていただいた先生は挨拶でこう言った。「君たちには感謝している。なにせ私の生涯にわたるペンネームとなった「あだ名」を付けてくれたんだからね〜」


 先生のあだ名は「ミトコンドリア」を略した「ミトコン」というもので、私が名付けたものだった。生物の先生だったが、少しアブナクアヤシイ感じがあって、あだ名の語感にとてもマッチしていた。先生は本気で気に入ってくれていたし、いろんな文章で自らその名を名乗っていた。


 おなじように化学の先生に私は「アボガドロ」と名付けた。この先生は早口なので時々どもってしまうことがあった。そのどもり具合と語感がよく合っていたのでこれも代々受け継がれたようだ。


 数ヶ月前に、十八歳下のいとこが何かの話のついでに、その「ミトコン」というあだ名が代々高校の名物になっていたことを話してくれた。彼はまさか目の前にいる私が名付けたとは思いもしていなかった。「たしか俺だよ、そのあだ名付けたのは」と言ったら感心した顔をしていた。しかし、もう四十数年前の話なので私も記憶にあまり自信がない。それで、今年の同期会の準備会合の折、悪友同級生に聞いてみた。彼は「あんだだっちゃ、それ付けたの」と言ってたので、やはり間違いないと確信した。


 と、ここまではそう悪くもないあだ名の話なのだが、小学校がちとヤバイ。それも女の同級生に付けたあだ名がヤバイのだった。「コブラ」「ゴリラ」「ブル」「ロボイド」・・・もうタイプしながら冷や汗が出てくるヤバ過ぎるあだ名・・・なにせ(決してカワイイとは言えない)動物ズバリそのものが多い。


 と言いつつ、特徴をよくとらえていたな〜という思いも。しかし、四十二歳の時に開いた小学校同級生の「歳祝い」では、女性陣から三十年越しの猛烈な抗議が!あたりまえではあるな〜


 あだ名ではないんだが、けっこう名付けのセンスは良かったな〜と思えるものがある。小五のときに野球チームみたいなものを作った。私が勝手にキャプテンになって、いざチームの名前を付けようという段になった。なかなかよい名前は出てこない。そのとき雲間から太陽が顔を出し、周囲が突然明るくなった。「よし、『ヒカローズ』にしよう!」このチーム名は、私以外もうだれも覚えてはいないだろうが。


 小学校では花形でも、それ以降の人生はけっこう苦労や挫折が多かった。仕事人生も数々の遍歴を重ねたが、歳祝いの頃ようやく小さな会社の経営者になれた。やっとごはんがまともに食えるようになった、と思った。


 ふと今こんなことを思う。「もしかしたら、人のうらみを買ったせいでこんなに苦労が多かったのかな〜」続けてこう思う。「この歳になってようやく『うらみの借金』を返し終わったような気がするよ」


 しかし、苦労といってもリカバリーできないほどひどいものはなかった。「自分もガキ大将からサンザンなあだ名や替え歌を頂戴したよな〜。それで相殺されたのかも」


 名前もあだ名も同じく一生もの。実に大事なものだとつくづく思う。「人を傷つけることは実によくないな〜。その人にも自分にも」と今頃になって反省する日々だ。