第31話 床屋さんで暴れた話

床屋さんで暴れた話

 小学校を卒業するまで「やろっ子」の髪型は二種類しかなかった。「坊主頭」か「坊ちゃん刈り」だ。私は「町の子」だったので「坊ちゃん刈り」だった。思い出アルバムを開いたら、白衣の床屋さんが写っていた。小学校に入る頃かな〜 その少し前頃かな〜 床屋さんで大泣きして暴れたことを思い出した。


 私の娘も孫も泣き虫で、どうもこれは遺伝ではないかと思っている。娘は三十年以上も前の保育園で、一年間朝泣き通しという記録を作った。その息子、つまり私の孫はその記録を塗り替えた。なんと三年間朝泣き通しだったのだ。卒園式で、園長先生が孫に贈ってくれた送別の辞では、そんな孫がとても元気なやろっ子に変わったことを語ってくれた。


 そんな孫の今と同じ年頃。私は近くの床屋さんに一人で座っていた。床屋さんのリクライニングするこしかけは、子どもにとって当時最高のハイテク機器だった。一人で散髪に来たのは、どうもそのときはじめてだったような気がする。そこまではよかった。最近この床屋さんに来たばかりの、そうだな〜三十歳くらいだったのかな〜、黒縁のメガネを掛けた元気な男性が私に白いエプロンをかけた。その男性は(当たり前だが)白衣を着ていた。それを見て、私は突然「お医者さん」を思い出した!だんだん不安になってきた・・・


 しばらくは我慢していたような気がする。しかし・・・ なんと、ジャックナイフのような剃刀を皮で研ぎ始めたではないか!しかも何度も何度も、力強く素早い手さばきで、シュッシュッと音を立てて!その様子とその音を聞いて、私はついに我慢できなくなって大声で泣き始めた。そして暴れ出した。床屋さんは必死に私をなだめようとするが、逆効果だった。押さえつけられて、まるでこれから剃刀で切られるような恐怖を感じてしまった。ついに床屋さんはあきらめた。「いや〜まいった」と苦笑いをしたことだろう。私の泣き声、暴れ方はますますエスカレートしていった。


 「こりゃ、大変だ、手に負えない!」床屋さんはあわてた。床屋さんの隣は米屋さんだった。やおら、床屋さんは外に出て、米屋さんから米を運搬する頑丈な荷台が前に付いた業務用自転車を借りてきた。なんと私は、その自転車の前荷台に積まれ、散髪途中のまま、家まで配達されてしまった。「どうにもなんねえにや。。。」と苦笑を浮かべて母に話す床屋さんの顔を今も思い出す。