第34話 エル字の弁当

エル字の弁当

 小学校は給食だった。親は「給食さまさま」だったことだろう。でも私たちはといえば、六年間もしょっぱくて硬いコッペパン(形だけ)と、鼻をつまんでしか飲めない脱脂粉乳の昼食に、もうへきえきしていた。パンは次の日になると、もう釘でも打てそうなくらいカンカンに硬くなってしまったものだ。中学校に入って弁当持参になったときは何となくほっとした。そして弁当持参は高校卒業まで続く。


 四十七年前の弁当箱はアルマイトという薄い金物でできた大きさB五くらい、高さ三センチくらいの四角い箱だった。その箱の中に、その三分の一くらいの小さなおかず用弁当箱をはめ込むようになっていた。おかず用の弁当箱の蓋には汁がこぼれないように、両脇にスプリング式の止め金具が付いていた。


 今考えてみると、その頃はほとんどの家でたいしたおかずを食べてはいなかった。野菜の煮付けや漬け物、魚といえば「ますの塩引き」や「かど」とよばれたニシンの切り身、ほんのたまに肉もあったが「鯨肉」が定番だった。そんな乏しい食事のなかで、弁当のおかずで横綱は「卵焼き」だった。「巨人、大鵬、卵焼き」と称せられたくらい人気者だった。しかし、卵は貴重品で病人が食べる滋養食とみなされていた。それでもけっこうおかずとなったのは、多くの家で鶏を飼っていて、少しではあるが卵を自給自足できたからだった。卵を産めなくなった老鶏だけが、絞められて鶏肉となり食卓に出たが、まるでゴムのようで、とてもかみ切れるしろものではなかった。


 この頃のおかずから、日々の生活は追って知るべし・・・ 商店街が活気を呈していた時代だったから、商店の子や裕福な家の子たちの弁当箱には、まずまずの?おかずが入っていた。しかし、あまり裕福ではない家庭の子や、農家の子たちのおかずは決してそうではなかったようだ。なぜ「ようだ」と書くのかといえば、あまり見たことがないからだ。


 昼の時間になり、弁当箱を皆が開ける。弁当の食べ方は二通りがあった。なんのてらいもなく弁当のふたを外し、ふたを弁当箱本体の下にはめこみ、おかずをオープンにして食べる子。もうひとつは、外したふたを弁当箱の前面へ「L(エル)字」に立てて、おかずを見せないようにして食べる子。中には、さらに弁当を包んだ新聞紙まで屏風のように立てて食べていた子もいた。オープンにして食べる子は、かくのように食べる子を少し軽蔑気味に見ていた。なんと子供時代は残酷な感情もあったことだろう・・・


 しかし今にして思うと、おかずをかくしていたのではなく、自分の弁当を人様にわざと見せつけたくないという謙虚な気配りが無意識にあったのかもしれない。または、せっかくの食事くらいプライべートな空間の中で食べたいと思っていたということもあったのではないだろうか? 現代でもわざわざ自家用車の中で食べる人や、公園のベンチで一人で食べる人は多いが、それと同じ目的を持った食べ方のスタイルだったのかもしれない。


 社会全体がまだ貧しかったので大差があるわけでもないが、あまり裕福ではない子供たちのおかずは、次のようなものが多かったようだ。梅干しだけ。俗に「日の丸弁当」というやつだ。たくあんだけ、あるいは市販の佃煮や、ふりかけをごはんにまぶすだけの弁当。それと匂いでわかるのだが、納豆をかけてきた子も多い。


 私の母親から聞いた話だが、近所の中華そば屋の子ども(私より四、五歳上の方だが)は、先生が栄養の偏りを心配して親を訪問したそうだ。その子供の弁当のおかずが、年がら年中、鰹節(削り粉)の出しがらだけであったためらしい。その鰹節(削り粉)は我が家で売っていたので、この話を聞いたとき、なにやら共犯めいた気がしたものだ。その頃我が家で飼っていた犬のえさは、残飯に味噌汁の出汁に使った鰹節(削り粉)の出しがらをまぜたものだった。先生は、その子が犬のえさと同じものを毎日食べているように感じて心配したのかもしれない。実は、その子供が削り粉ご飯をことのほか好きなため、自分一人で毎日弁当のおかずにしていたらしい。その後、その子のおかずが変わったかどうかはわからない。


 今、あの頃を思い出して感心することがある。それは、中学校になれば、女の子のほとんどが自分で弁当を詰めてきた(らしい)ということだ。だから、私たち以上の年代の女性には、十代のはじめからしっかりした「生活の芯」が備わっていたような感じがする。女の子の歳がたった一つだけ上でも、男の子からすれば、頼れる「お姉さん」的な大人の要素があったように思う。まるで星飛雄馬のお姉さんみたいな雰囲気を感じるのであった。


 やがて高校時代・・・ 男子校だったが、遠くの町や村から入学した子は高校の近隣へ下宿をしたり、なかには部屋だけを二人で借りて自炊をしているやつもいた。冬になれば、弁当箱を亜炭ストーブのそばに置いて温めるのだったが、その自炊二人組の弁当には皆大いに悩まされたものだ。なにせ、おかずが毎日「たくあん」だけなのだ。それが、ストーブの熱で温められると、教室中ににおいが充満する・・・ 誰も人のおかずに文句をいうこともできずに我慢していたことも、今となってはほほえましい思い出となっている。


 こんな思い出に浸りながら、ふと不思議に感じることがある。「いったい、現代のどこが、だれが、不景気なのだろう。貧乏だというのだろう?」「ほとんどの人の昼食は外食。弁当を持ってくるにしてもおかずの乏しい弁当を持ってくる人など皆無だ」「道を走っているのは、みんなピカピカの車ばかり。。。なのに?」


 弁当の思い出は私に、思いがけず現代社会の真実を見せてくれたようだ。それは物質的豊かさと、それと逆比例する精神的満足感のはっきりとしたコントラスト。食えども食えども足りない、いや食っているのに食っている気がしない。そんな「貧しさ」がこの世に充満していることを感じてしまうのだ。