第12話 イヨマンテの夜

イヨマンテの夜


 
 私が小学生だったある日の午後、ボスはみんなに命令した。(くだんのガキ大将たちより年長のワルあんちゃんがこの日のボスだったような・・・)「ア〇〇を電信柱にくくりつけて、みんなその周りで踊れ!」と。


 ア〇〇とはなまずに似た魚の名前で、この男の子のあだ名であった。その電信柱はア〇〇ちゃんの家のすぐそばにあった。ア〇〇ちゃんの家は魚屋だった。ボスに逆らえず、いやいやみんなでア〇〇ちゃんを縛りつけた。そしてみんなでボス作詞の替え歌を歌って、まるで生け贄のようにして電信柱の周りを踊った。


 どうしてこんなことになったのか?それはア〇〇ちゃんのお母さんに原因があったらしい。当時、子供たちの危険な遊びに業を煮やし、ガキ大将やボスの家へ文句を言いに行く母親は多かった。これを「ネッコミ」と呼んでいた。


 しかし「ネッコミ」した親の子供は、復讐として徹底的にいじめられるのだった。かくいう私の母親もそうで、私は何度母親を止めたことだったろう・・・ア〇〇ちゃんもまさにそういう事情であったようだ。だから、家である魚屋にわざと聞こえるよう、見えるようにいじめられたのだった。


 なんと子供の世界も残酷だったことだろう。ア〇〇ちゃんの「やめでけろ」と懇願する涙顔を今でも思い出す・・・そしてどういうわけか今でもこの歌が耳で鳴りだす。「イヨマンテ〜♪ 燃えよ♪ かがり火♪・・・」そのころなら誰もが知っていた『イヨマンテの夜』。


 力強い歌い方でヒットした流行歌だ。「イヨマンテ」、それはアイヌの「熊祭り」。ヒグマの子を殺して、その魂であるカムイを神々の世界に送り帰す祭りらしい。そのような生け贄の儀式に思えてしまうのだった。


 今なら「イジメ」として大きな問題となっていたに違いない。しかし、当時このようなことがあまり問題にならなかったのには理由がある。それは、ほとんど誰もが何らかのイジメにあっていたからだ。


 ガキ大将だって例外ではない。格上のガキ大将からひどいイジメにあうこともあったのだ。そして反対に、誰もがどこかでヒーローになれる場所があった。それで今よりは救われていたのだと思う。


 学校で勉強がよくできても、家に帰ればガキ大将の子分。運動神経が悪ければ「ハカセ」と言われてバカにされた。学校で成績が悪くても、足が速ければ地域のヒーロー。ガキ大将も一目置く存在だった。金持ちの子の家は遊び場にさせられたし、貧乏な家の子でも腕力とか胆力が強ければ、遊びではいつもいい役ををもらっていた。誰もがどこかに「自分が輝く場所」があったのだ。


 とはいえ、度が過ぎることもたしかにあった。実は数年前、ひろちゃんと土手でばったり出くわし思い出話になった。ひろちゃんは刑務官をしている。「イヨマンテの夜」の話をしたら覚えてはいなかった。


 そのかわりにこんな話を聞いた。「いや〜、びっくりしたもんだ。同級生の話だが、あのア〇〇ちゃんがさ、子分引き連れて、まるで「やくざ」みたいにして歩いていたって言うんだな・・・」あの「イヨマンテの夜」が、その後のア〇〇ちゃんの人生を狂わせたのではないかと、しばし二人でもの思いに沈んだものだった。