第19話 「タイム」にゃまいった!

「タイム」にゃまいった!


 昭和の頃は町に何でも見てくれる開業医が数軒あって、とてもよかったなと懐かしく思い出す。昭和30年代は衛生状態もそういいわけじゃないし、遊びも野蛮だったので病気やけがも多かった。そして、どんな病気やけがでも「町医者」に診てもらった。私がかかりつけのお医者さんは「佐々木医院」といって、もともとは「産婦人科」だったらしい。でも、あらゆる病気、けがをそこで治療してもらっていたので、そんな専門があるなんてずっと後で知った。


 佐々木医院は引き戸を開けるとすぐに畳の待合室があった。そこには火鉢があって、その上で鉄瓶がいつもシューシューと湯気を出していた。やたら長く入れさせられた体温計を抜き取ってもらい診察室に行くと、アラジンのストーブがちょろちょろ青い光でゆらめいている。ストーブの上にはステンレスの消毒器が置かれ、コトコト沸騰するその器の中には消毒中の注射器や針が入っていた。そんな光景を眺め、そんな音を聞いているだけで、具合の悪さも少し薄れて眠くなってきそうだった。


 佐々木お医者さんはまず「無愛想」この上ない人だった。なにせ戦時中は「軍医」で、しかも「大佐」だったらしい。しかし、私にとっては何度も「命」を救ってもらった「人生の恩人」だ。私だけじゃない。家族みんなの「命」を救ってもらった。そんなしかめっつらのお医者さんが、めずらしく笑ったことがあった。そしてその後何度も、その時のことを思い出して私に話すことがあった。「あのときは俺もまいったよ!」と。


 私が小学校3年生の頃かな?4年生だったかな?さびた古釘を足のかかとで踏んづけてしまった。今でもあのときの重苦しい鈍痛を思い出す・・・さっそく佐々木医院へ直行!すぐに麻酔の注射を打たれることになった。ところが・・・お医者さんが、あと1秒でその注射針を射そうというその瞬間。絶妙のタイミングで私は思いきり叫んだ!「タイム!」!!!!!!


 お医者さんは(ほんとに)ズッコケてしまった。しばらくして、お医者さんは笑い始めた。私はそれどころじゃないのに・・・よっぽど印象に残ったのだろう。受付、看護婦、薬剤師を兼ねていた奥さんにもその話をしたらしく、後になってもよ〜くからかわれたものだ。


 私は無類の臆病者で、今に至るまで注射は特に大嫌いだ。小学校六年生のときには、痛いので有名なある予防注射を、泣いてついにしなかったという恥ずかしい話もある。ずっと小さいときは床屋さんの白衣が怖くて大泣きし、床屋さんがもてあまして、その頃あった米配達用の頑丈な自転車の前の荷台に乗せられて送り返されたこともあった・・・(床屋の隣が米屋だった)白衣なのでお医者さんと区別が付かなかったのだ。


 さて、佐々木お医者さんも実に大変だったな〜、と今になって思うことがある。中学校1年生のとき、弁当のおかずの魚の骨が思い切り歯茎に刺さってしまった。先っちょが折れて自分ではとれなくなってしまった。そして放課後、佐々木医院に直行した。先生はきっとこんなふうに思ったのかもしれない。(こんなもんまで俺がやるのかよ〜歯医者じゃね〜ぞ)そして、虫の居所が悪かったのかこう言った。「そのままにしていれば自然と抜けてくるから」私はとても悲しい顔をした。しばらくしてから「しょうがないな。口開けて。」といって治療してくれた。


 佐々木先生は大きな頑丈な体をしていたが、晩年、糖尿病で片足を切断した。手術は整形外科医の息子が行い、息子の経営する病院に入院していたが、十年くらい前、九十数歳で天寿を全うされた。このブログを書きながら、お世話になった佐々木先生と奥様に、心からご冥福をお祈りしたいと思っている。